カザフ・ソビエト社会主義共和国(現在、カザフ系民族を主流にする「カザフスタン共和国」)の草原地帯に、「セミパラチンスク核実験場」(現在のクルチャトフ市/地図上では赤で示されている)という名で知られる、旧ソ連の核実験場(ソ連崩壊後はカザフが所有)がある。

セミパラチンスク核実験場(地図上では赤で示されている)
秘密警察の指揮によって、囚人労働で建設された「セミパラチンスク核実験場」は、1949年から40年間にわたって、450回以上の核実験に使用された施設である。

スターリンの命令一下、1949年8月29日に行われた初の核実験(RDS・エル・デー・エス-1)は、実験場を越え、遥かロシアのアルタイ地方辺りまで汚染されたと言われるフォールアウト(放射性降下物)が、付近一帯に降り注いだが、その際、市民への避難警告は全く為されなかった。

世界を二分した冷戦が本格化する契機になった、このRDS-1は、自然界に殆ど存在せず、長崎市に投下されたファットマンと同型の、ウランの中性子照射で作られる人工的なプルトニウム原子爆弾(プルトニウム239)である。

地球上で最も集中的に核爆発実験が行われた土地=秘密都市に建設された、かの「セミパラチンスク核実験場」の周辺では、放射能除去が行われていなかったため、当然の如く、20万人以上の直接的な健康被害を受け、多くの奇形児を生み出し、現在も、周辺住民の多くの市民が命を落としている現実がある。

もっとも、核爆発実験が、ソ連の「セミパラチンスク核実験場」のみで強行されたわけではない事実は、誰でも知っていること。

―― 以下、歴史上重要な核実験を簡単に確認していきたい。

左:グローヴス、右:ロバート・オッペンハイマー
まず、アメリカ。

何と言っても、アメリカ陸軍・レズリー・グローヴス准将が責任者となって、計画・遂行されたマンハッタン計画(イギリス、カナダの協力あり)。

科学部門のリーダーは、ロスアラモス国立研究所の所長であり、ユダヤ系アメリカ人の理論物理学者・ロバート・オッペンハイマー。

かくて、1945年7月16日、ニューメキシコ州アラモゴード・トリニティ・サイト(核実験地)において、世界初の原爆実験を実施した事実は、あまりに有名である。

その後、1954年に、ビキニ環礁・エニウェトク環礁で行なった「キャッスル作戦」における「ブラボー実験」は、「第五福竜丸事」を生んだ水爆実験として、世界の核兵器の歴史に悪名を馳せている。

特に、ミクロネシアにあるロンゲラップ環礁は、この「キャッスル作戦」によって深刻な放射能汚染を受けた挙句、クェゼリン環礁に強制的に移住させられ、後に住民の帰宅を許されても、甲状腺ガン・白血病罹患者を多発し、奇形児や流産などの異常出産が惹起するなど、「水爆実験のモルモット」にされたと言われるほどの悲劇の島となった。

また、1996年まで実施された、アルジェリア領サハラ砂漠と、仏領ポリネシア(ムルロア環礁)でのフランスによる核実験は210回に及び、大気圏核実験を最後に、地下核実験に移行するまで国際世論の非難を受けている。

そして、中国による核実験は、1964年10月、避難勧告を出すことなく、新疆ウイグル自治区(東トルキスタン)のロプノール湖(楼蘭はロプノールの西岸に位置)で強行され、初の水爆実験も含め、50回以上に及ぶ核実験によって、周辺住民への被爆が問題視されている。

更に、チベット自治区における核兵器の配備と核廃棄物(放射性廃棄物がゴビ砂漠に保管)によって、核汚染の広がりがチベットの人々を懸念させてている。

中国の核実験で看過できないのは、人口密度の高い居住区で大規模な核実験を実施したという事実である。

周辺住民への甚大な健康被害と環境汚染を全く考えることのない国家が、「社会の共産主義化」を推進するという信じ難い矛盾に驚かされるばかりである。

次に、イギリスによる核実験。

1952年から1957年にかけて、イギリスとオーストラリア両国政府は、オーストラリアの中南部の砂漠地帯(エミューとマラリンガ)で、協力して核兵器実験を強行したが、この実験によって、先住民のアボリジニや、多くの民間人も被爆したとされている。

特に、マラリンガの実験において、軍人と民間人が人体実験に使用されたと言われているが、当然の如く、歴代政府からの補償など、完全に無視されてきた。

嘘か本当か、重度障害者を使った人体実験が行われていたという報告を聞くと、慄然とするばかりである。

今度は、インドの核実験。

原子力の平和利用という名目で、インド独立運動の指導者・ネルーを父に持つ、国民会議派のインディラ・ガンディー政権下、1974年の地下核実験を強行したが、核軍縮の世界的な流れに反することになり、国際的批判を巻き起こすに至る。

更にインドは、NPT(核拡散防止条約)の条約調印を拒否し、CTBT(包括的核実験禁止条約拡散防止条約)にも批准しない姿勢を貫いている。

1974年の地下核実験に次いで、ヒンドゥー教至上主義のインド人民党政権下で、「シャクティ作戦」とも呼ばれるインドの核実験(1998年)は、タール砂漠のポカラン試験場という、人里離れたエリアの地下で強行された。

アブドゥル・カーン
また、このようなインドの軍事目的の核実験に反発したパキスタンは、1998年、この国の「核開発の父」と呼ばれる、アブドゥル・カーン博士の指導の下、地下核実験を成功させたばかりか、イラン・リビア・北朝鮮などに核兵器の製造技術を密売し、核拡散(地下核ネットワーク)を進めたと言われ、国際世論から非難を浴びるが、パキスタン政府は関与を否定する。

北朝鮮の核実験については、最初の原子炉が稼働している核施設・寧辺(ニョンビョン)核施設や、国連安全保障理事会の制裁強化決議などで、よく知られているところである。

最後に、イスラエルによる核実験については、戦略的な含みで、NCND政策(否定も肯定もしない立場)を保持している。

―― 以下、核実験の禁止の歴史をフォローしていく。

「米英ソ」との間で調印された「部分的核実験禁止条約」が結ばれ、大気圏内で行う核実験が禁止され、核実験を地下に限定したのが1963年。

そして、あらゆる空間での核兵器の核実験を禁止するシビアな条約・CTBT(包括的核実験禁止条約拡散防止条約)が国連総会で採択され、日本も批准するが、2015年6月現在、44カ国(注)の「発効要件国」の全ての批准が必要とされている(CTBT・第14条)。


しかし、現在のところ、米、印、パキスタン等、一部の「発効要件国」の批准の見通しが立つことなく、条約は未発効のままになっている。

「爆発させていないのでCTBTに抵触しない」との論理を振りかざし、爆発を伴わない「臨界前核実験」(未臨界核実験)は、採択後も米露で繰り返し行われている。

この「臨界前核実験」が、核兵器の新たな開発や、性能維持のために行われているのは、今や周知の事実である。

未署名国・未批准国に対する早期署名・批准の呼びかけや、核実験モラトリアム維持の重要性など、CTBTの早期発効を求める「賢人グループ会合」の提言、更に、1999年から、隔年で「発効促進会議」が開催されていてもなお、20年来の懸案の具体的な解決策は見えず、あまりに困難なCTBTのハードルの高さが窺われるところである。

次に、NPT(核拡散防止条約)の概要に言及する。

NPTは、1968年7月に署名開放され、1970年3月に発効(我が国は1970年2月に署名し、1976年6月に批准)。

NPT条約の参加国    署名および批准   加盟または継承   条約遵守国(台湾)   脱退(北朝鮮)   未署名(インド、イスラエル、パキスタン、南スーダン/赤)

2015年2月現在において、締約国は191か国で、非締約国はインド、パキスタン、イスラエル、南スーダンの4カ国。

条約の目的は、米、露、英、仏、中の5か国を「核兵器国」と定め、「核兵器国」以外への核兵器の拡散を防止(核不拡散)。

そして、各締約国による、誠実に核軍縮交渉を行う義務を規定(核軍縮/第6条)。

3つ目は、原子力の平和的利用で、以下の通り。

締約国の「奪い得ない権利」と規定するとともに(第4条1)、原子力の平和的利用の軍事技術への転用を防止するため、非核兵器国が国際原子力機関(IAEA)の保障措置を受諾する義務を規定(第3条)。

核兵器拡散状況      条約に基づく「核兵器国」 (赤)     NATOの核共有国      条約を批准した「非核兵器国」      非核地帯(青)

また、5年に1度、NPTの実効性を高めるために、最終文書の全会一致の採択を目的とする「NPT再検討(運用)会議」が開かれているが、2015年の会議では、実質事項に関する合意文書を採択することができなかった。

NPTもまた、CTBT同様に、そのハードルの高さに弾き出されてしまったのだ。

このように緩慢な、核実験禁止の歴史の絶望的な歩みに絶句する思いである。



(注)ジュネーヴ軍縮会議の構成国であって、IAEA「世界の動力用原子炉」の表に掲げられている国。中国・エジプト・イラン・イスラエル・米国の5か国は署名しているが未批准、インド・パキスタン・北朝鮮の3か国は署名すらしていない。(外務省のデータ)

【本稿は、「草原の実験」という映画からの抜粋です】

(2017年1月)
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